＜　プロローグ　＞






　「‥‥ふぅ‥‥‥」


神瞳かりんは、ゆっくりと息を吐きながら目を閉じた。　そして、精神を集中させてから、一気に目を開ける。



目の前には、今回のターゲットがいた。　かりんは、鋭い眼光で標的を睨みつけ、手の中の道具‥‥その、鋭くとがった先端を標的に向ける。




‥だがしかし。　精神を研ぎ澄ました状態でも、指が‥手が震える。　今までの人生を振り返っても、ここまで緊張したコトはなかったと、かりんは思った。



ギリっと、痛いほど歯を噛み締めて、力で指の震えを押さえ込む。　‥だがそれでも、細かく震えるのは止められない。




‥くっ、何と言うプレッシャーなのだろう‥。　かりんの頬に、汗が流れる。


かつて、騎士道部最強と謳われた騎士を相手に戦った時ですら、ここまで緊張はしなかった。　こんな‥震えが止まらないなど、初めての体験だ。





かりんが緊張に震えるその間も、標的は動かない。


それはまるで‥『そんなに震えていたら、実力は出せないぜ？』‥とでも言ってる様に、かりんには思えた。　余裕の表情で、こちらを見下している印象。





かりんは、頬に汗を流しながらも‥‥このまま、震えが止まるのを待っていたら、緊張で先に精神がやられてしまう‥そう思った。



‥このまま行くしかないと思う、かりん。　標的は動かない。　動かない相手なら、いくら緊張した状態だって、次の一手を外しようもない。



かりんは、すっと指を動かす。　それでも標的は、余裕があるのか動かない。　かりんは標的を睨みつけ、手に持ったソレに力を込めた。





　「‥行くぞ！！！」


かりんが叫び、さらに力を込めたその瞬間！




　『‥パァ〜ン！！！！』





‥そんな破裂音と共に、かりんが手に持った物が粉々に砕け散った。




　「‥‥え？」


何が起こったのか分からず、呆然と立ち尽くす、かりん。　標的は‥‥ふてぶてしくも動いていなかった。





そして自分の顔や服が、何かの液体に濡れているコトに気づく。　指で頬をなぞると、指に赤銅色の液体がこびり付く。



ヌルヌルと粘っこい液体。　それは、嗅ぎなれた‥‥もう、嫌と言うほどに嗅いだ匂いだった。



かりんは、その液体に赤く染まった指を舐めた。　‥そして、小さく呟く。







　「‥‥‥‥甘い」



そして‥‥液体状のチョコレートが散乱した台所と、ガラスに映った自分の、チョコまみれの姿を見て、深くため息をついた。



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台所の掃除を終え、服を着替えてから、もう一度、標的の前に立つ。　標的はモチロン、ハート型のチョコレート。



コレは、明日のバレンタインの為に作ったチョコだ。　さっきは、このチョコに文字を書こうとして、失敗してしまった。

液体状のチョコを入れた、ビニール袋。　‥その先端に穴を開けるのを、緊張のあまり忘れていたのだ。　



そして標的‥‥ハート型のチョコは、飛び散ったチョコがまだらに付き、何とも言えない奇妙な模様を浮かべていた。




‥‥これはこれで芸術的ではあるけど‥‥‥とても、バレンタインで渡せる代物ではないな‥。　そう考え、かりんはもう一度ため息をついた。




チラリと台所を見ると、歪なハート型のチョコレートが山の様にあった。　それは、この綺麗なハート型が出来るまでに、失敗したチョコの群だった。




　「‥‥やはり手作りのチョコなんて、私には無理だったのかな‥‥」


そう小さく呟き、項垂れるかりん。　もう一度、綺麗なハート型チョコを作れるまでに、どれくらい時間がかかるか検討もつかなかった。



とは言え、２月１４日は、もうスグ来てしまう。　‥‥あと、ホンの数時間で。　このまま項垂れていてもしょうがない。



かりんは首を振った。　そして、「‥‥良し、頑張ろう！」と、頬を叩いて、再びチョコの作成に取り掛かった。



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‥そして、かなりの時間をかけて、二度目の完成品。　見事なハート型のチョコが出来上がった。




それを前に、再び液体状チョコの入ったビニール袋を手に、かりんは指を震わせる。



今度は、先端に穴も開けてある。　中に入っているのは、溶かしたホワイトチョコ。　やはり文字は、白が目立つだろうと思って入れ替えた。




‥うん、準備は万端。　今度こそ失敗は許されない。　‥‥何しろ、時間がないのだから。




さっきは、色々書こうと思ったから失敗した。　『日頃の感謝の気持ちを籠め、これを送ります』‥とか、そこまで書こうと考えていた。



‥でも、今度は失敗は許されない。　時間も精神力もギリギリだった。　あの方への‥‥牧村さんへの想いを、一言にまとめ上げ、チョコに書くんだ！




かりんは、大きく深呼吸をしてから、震える手を動かした。　そして、ハートの上に文字を書いていく。


簡潔に‥‥想いを込めて。　きゅ‥きゅと、赤銅色のチョコレートに、白い文字が描かれていく。





そして‥‥数文字を書くだけには長すぎる時間をかけて、チョコは完成した。





指が震えたので、多少曲がっている所もあるが、チャンと文字として読める。　かりんの想いを凝縮した、アルファベットの４文字。




その完成したチョコを、じっくり１分間は見つめた後。　かりんは、口を開いた。







　「‥‥‥や、やっぱり、『ＬＯＶＥ』‥‥は、まずかった‥かな？」




‥そう呟いたかりんの赤く染まった頬を、窓から差し込む、２月１４日の朝日が優しく包み込んだ。




・・・続く